1月後半~2月はじめ。

ツイタではいろいろ呟いてたけど
まとめておこっかなー。

実演まで
ちょっと大変だったいろいろ。

レポでゆうてたやつ、
記事立てしますねー。


miyanさんの周りに二人、
病と戦ってるヒトがいました。

ダンナの叔母とmiyanさんの叔父。

同じガンでした。

どちらも「もうアカンかも」と近々のヒトがゆってて、
そやけどやっぱさ、
「いやいやそんなんゆうてもまだ大丈夫ちゃうの??」って
思いたいから思うようにしてて。

けど。
こないだね。
二人とも死んじゃった。


1月25日、
藍染さんリハ。

実演直前の大事なリハを終えて、
帰って寝て朝方。

電話が鳴って目が覚めました。
電話を取ったダンナが「分かった」って言いました。

miyanさんは「代わって!!」って受話器を取ったら、
お義母さんが
「5時半やったわ・・
 みゆきちゃん・・」。

「すぐに行くから待っててな!!」。

お義母さんの一番仲良しだった妹の洋子ちゃんが亡くなりました。

幸薄い女の人生を生きてきたヒトでした。
娘と息子がいるけど、
二人には会おうとはせず、
たった一人で必死に生きてきたヒト。

大阪市内でスナックをやっててね、
miyanさんも一回行ったことあるなー。

キレイに着飾った洋子ちゃん、
夜の蝶でした。

三年前にお義父さんが亡くなって、
ココロも身体も病んでしまったお義母さんのために、
お義母さんのウチで二人で生活をするために、
洋子ちゃんは店をたたみました。

「ちょうどよかってん!!
 もう店も売上全然あかんしなー、
 ちょうどたたもう思ってたんやでー」。

洋子ちゃんはガハガハ笑って、
miyanさんを安心させてくれました。

二人は本当に仲良しでした。
お義母さんが元気を取り戻したのは
洋子ちゃんのおかげでした。

お義母さんが元気になって、
今度は洋子ちゃんが入院しました。

「あの子、
 あんな商売してたやろ、
 お酒の飲み過ぎが今頃身体に出ただけやねん、
 大したことないんやでー」。

お義母さんはそう言ってて、
miyanさんもそれを信じてた。

それから、
いつ遊びに行っても
洋子ちゃんはずっと座ってるか寝てるかの状態でした。

けどいっつも笑ってたし、
きっとヒマやからウトウトしたはるんやろなーとか
軽く考えてて。

年末近く、
お義母さんのもう一人の妹から電話がありました。

「みゆきちゃん!!
 急いでサイセイカイ行って!!
 洋子が危篤やねん!!」

危篤!?
なんで!?

「知らんかったんかいな!!
 洋子、
 ガンでもう危ないねんで!!」。

すぐ電話を切ってお義母さんに電話したら、
お義母さん激怒。

「あの子!!
 危篤とか何アホなことゆうてんねんな!!」。

ちょっとでも具合が悪くなると
すぐ診てもらうことにしてるだけで、
その日もそんな感じだっただけ。
危篤だなんてとんでもなかったらしい。

電話をかけてきたお義母さんのもう一人の妹、
ま、
このヒトもダンナの叔母なんだけど、

昔っからちょっとズレてるとゆうか・・
ちょっと前に心臓の手術してから
さらにズレだしたとゆうか・・。

けど、
洋子ちゃんがガンなのは本当で、
それも末期で、
もう危ないとゆうことも本当でした。

ダンナは知ってた。
けどmiyanさんには黙ってたと。

「みゆきちゃんに心配かけたくないからゆわんといて」。

洋子ちゃんがそう言ってたからなんだって。

大晦日から2日まで、
毎年お義母さんちにお泊りします。

毎年恒例の
娘さんたちとお義母さんと洋子ちゃんでやってるトランプ大会、
「洋子がちょっとしんどいねん」とゆうお義母さんの一言で
今年はありませんでした。

けど起きてる時の洋子ちゃんはいっつも笑ってた。

2日のお昼過ぎ、
帰り支度をするmiyanさんに洋子ちゃんが言いました。

「最後にみゆきちゃんに元気な顔見せれてよかったわー」。

miyanさんは怒りました。
「何ゆうてんの!?
 最後って何!?
 またすぐ遊びに来るし!!
 来年はトランプ大会せなあかんやんか!!
 何ゆうてるんな洋子ちゃんは!!
 洋子ちゃんのアホ!!」。

洋子ちゃんはいつものようにガハガハと笑いました。

1月26日朝5時半の悲しい電話。
高2と中1を起こして、
洋子ちゃんが亡くなったことを告げました。

自分の孫のようにかわいがってくれた洋子ちゃんの死に、
二人はただ呆然とするだけでした。

7時過ぎ、
病院到着。

永遠に眠ってしまった洋子ちゃん、
笑顔でした。
お化粧をしてもらって
とってもキレイでした。

26日お通夜、
27日告別式。

連絡を絶っていた洋子ちゃんの娘が
息子と娘を連れてきました。

見送ったのは親族9人だけだったけど、
洋子ちゃんは十分幸せだっただろうと思います。

洋子ちゃん、
ありがとうね、
大事なリハをちゃんとやらせてくれて。

ノースタルジックが終わるのも待っててくれて、
ほんとにありがとうね。

けどね、
お義母さんがゆってたよ。
こんなに早よ逝ってまうなんて思ってもなかったって。

洋子ちゃんも
お義母さんのことが気がかりだろうね。

大丈夫だよ、
今度は私が
ちゃんとお義母さんのこと見てるからね。


miyanさんの叔父、
まさのぶおっちゃんが亡くなったのは翌週、
1月31日のことでした。

おとんの兄貴。
中学を出てからずっと、
ギター作りに男のロマンを掛けてたヒトでした。

小さい頃、
家が近かったのもあり、

おっちゃんの一人息子、
ゆうたらイトコ、
おないなのね、

幼稚園も一緒、
よく遊びに行ってたよ。

その頃はまだおウチに工場(こうば)があって、
いろんな機械があって、
触ろうとしたらおばちゃんに
「ダメよーみゆきちゃん」って怒られたりしてたなー。

おかんやイトコから聞くところによると、
おっちゃんはほんとに破天荒な生き方をしてたらしく、

おばちゃんと
生まれたての病弱な息子を残して、
夢追っかけてフランスに行って何年も帰ってこなかったり、
テロやらのある国に行っては家族に心配かけたり、

それでも、
おばちゃんの愛と理解の上で
おっちゃんは夢を現実のものにし、
国内外でたくさんのヒトに愛されるギターを作るヒトにならはった。

miyanさんはおっちゃんのことを
そんなすごいヒトやなんて思ってもなくて、

盆正月に親戚一同集まった時、
酒飲んではmiyanさんたち子どもらを前に人生論を展開する
しゃべり好きなおっちゃんとしか思ってなくて、

けど、
そんなおっちゃんがすごいヒトって分かったのは
高校1年の時。

楽器屋さんをやってはる先輩がいたのね。
なんかの話で
「私の叔父がギター作ってるんですー」とかゆうたのね。

「なんてゆうヒト??」
「まつむらまさのぶってゆうんです」

「まつむらギター!?
 叔父ちゃんなん!?
 マジかー!!」

先輩がひっくり返る勢いで驚いてはった。

miyanさんたち親戚以外で
おっちゃんのこと知ってるヒトがいるんや!!って
miyanさんもめっちゃビックリしました。

あとは、
リーダーね。

まつむらギターの名前知ってて、
やっぱり「へー」ってゆってた。

リーダーはね、
おっちゃんと会ったことがあるんだよ。

過去記事調べたら2008年のことでしたわ。

おっちゃんがギターフェスティバルってゆうイベントを
茨木で開催したのね。

おっきなイベントでね、
それリーダーにゆうたら「行く」ってゆうし、
チケット買ってもらって、
大阪サウスからわざわざ北摂まで。

コンサートやらギターの試奏やら、
リーダーは目がキラキラしてたけど、
miyanさんは・・ヒマでしたw

その頃はほんとに精力的に
国内外を飛び回ってたおっちゃんやったけど、
何年か後に手術したっておかんがゆうてて、
次に会った時はガッツリ痩せてて。

それから何年も、
miyanさんはおっちゃんに会うことはありませんでした。

毎年正月に親戚一同で集まってはいたんだけど、
おかんに
「アンタいらんから
 うなぼん連れてく♪」とかゆわれて、
ハイそうですか的なとこでw

おっちゃんがもう危ないっておかんから聞いたのは
去年の12月のことでした。
病名もその時聞きました。

おとんもおかんも
それまで知らなかったことでした。

「自分が弱ってるところを見せたくない」とゆう理由で、
実の弟であるおとんにさえ言うなと
おばちゃんは口止めをされていたのだと。

見舞いにも来ないでくれとゆうおばちゃんを
おとんは怒ったのだと。

「もしこのまま生きてる兄貴に会えへんかったら
 ワシみちこさんを恨むで」。

おとんは年末までに
摂津にある工場まで
おっちゃんに会いに行きました。

その時はまだ入院もせず、
痛みに耐えながらでも
ギターを作り続けていたそうです。

1月30日。

「みちこさんから電話があった、
 まさのぶさんほんまにもう危ないらしい、
 アンタも病院行った方がええ」。

おかんから電話がありました。
やっとmiyanさんにも会う許可が下りました。

夕勤から帰ったところでした。
娘らにメシ食べさせたらすぐ病院に行くつもりで
イトコに連絡を取りました。

けどそうこうしてるうちに夜も更けてしまい、
「おばちゃんも疲れてるやろし、
明日昼まで仕事してから行くわ」と
イトコにメールしました。

けど、
miyanさんは間に合いませんでした。

おかんから
「7時15分亡くなった」
とゆうメールをもらったのは翌朝、
仕事場に着いた時でした。

ちょうど事務所はmiyanさん一人だけだったので、
すぐおかんに電話をして指示を仰ぎました。

「仕事ちゃんとして、
 家のこともちゃんとしてから
 おっちゃんのウチおいで」。

デスクに座ってはいても、
仕事なんて手がつくはずもないmiyanさんでした。

1月31日仮通夜。
久しぶりに行ったおっちゃんの家。
白い布を顔にかけられて眠ってるおっちゃん。

布をめくって、
「おっちゃんごめんな、
 間に合わへんかったな」とゆうと、

そんなんかまへんねんで
ありがとうな

おっちゃんが言ってくれてる気がしました。

おっちゃんの寝てる部屋の壁には
miyanさんが小さい頃から飾られていた、

おっちゃんが夢を抱き
フランスまで追いかけて行ったヒト、
おっちゃんをたった一人の弟子としたヒト、
おっちゃんが死ぬまで師匠と仰いだヒト、

ロベール・ブーシェの写真が
今も変わらず飾ってありました。

2月1日通夜、
2月2日告別式。

miyanさんは斎場で受付をしました。
次から次へと参列の方がみえました。

生前のおっちゃんを慕い、
おっちゃんのギターを愛している方々が
全国からたくさんたくさんみえました。

人間が大好きなおっちゃんに相応しい、
とっても盛大な葬儀でした。

イトコは立派に喪主を務めました。
時々泣き崩れそうになるおばちゃんを
隣で優しく支えていました。

焼香の〆はおとんでした。
二人の兄貴を亡くし、
末っ子のおとんは一人になりました。

けど、
妹弟を先に亡くしている長女のお義母さんにすれば、
これが世の常なんだと思います。

告別式ではギターの演奏がありました。
ブーシェ作の一番新しいギターと
おっちゃん作の一番古いギターとの共演。

奏者のお二人さま、
おっちゃんのためにおいでくださって、
おっちゃんのために演奏してくださって、
ほんとに有難いこと。

柩には、
おっちゃんのことや
おっちゃんのことが書かれている
たくさんの方が掲載してくらはってたブログを印刷したものを
入れてあげました。

ツイッターでもたくさんの方が
おっちゃんの死を悼んでくれてはりました。

自分が死んでも、
自分の作ったものは
これからもずっと愛され続ける。

素敵だなって思います。

おっちゃん、
ありがとうなー。

実演とかぶらさんようにしてくれて。

miyanさんの音楽を応援してくれてたもんなー。

演奏会も来てくれたことあったし、
ギターフェスティバルの時も
「頑張りやー」ゆうてくれたもんなー。

頑張るからなー。


二週間の間に
二人の近しいヒトを亡くしました。

たくさん泣いたな。

けど実は、
この直後にも
大変なことが待ち受けていたのです。

それにつきましては後日。

一体なんだったんだー4days♪ by バービーボーイズ




一体なんだったんだ、4days。 | Home | ビートルズ実演をレポる。

コメント

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する